その日は桜咲く春のある日。午前中から訪れたのは京都市左京区、哲学の道と呼ばれる小川沿いの小径。天気が良かったので外でのんびりしながら、読書時々撮影という予定でした。西田幾多郎の石碑などを巡ったりしたのですが、観光客が結構多く、ゆっくり道端に腰掛けて本を読むというのはちょっと憚られる。
となると、もう少し広々とした所でと考えて来た道を戻り、出町柳を超えて鴨川までやって来た。ここも人は多いのですがスペースはたっぷりあるので寛げました。写真はそこで撮ったもの。
この年の年末にはコダクロームの現像が世界で終了してしまうということがわかっていて、折々に触れコダクロームで撮影していました(コダクロームはまとめて自分でアメリカ送り、K14現像)。京都には、その日の16時までに出せば18時台にはリバーサル現像を上げてくれるラボが二条にあり(現在は当日現像は行なっていない)、E6現像(CR56現像)ならその日のうちにポジを見られる環境で今にして思えば極楽でした。フジ4本、コダクローム1本の比率で撮影といったところだったでしょうか。
ほぼ10年ひと昔か…。
「自覚というには、種々の考え方があるであろうが、いつもいう如く私は自己が自己において自己を見ると考えねばならぬと思うのである。…自己が自己において自己を見ると考えられる時、自己が自己において絶対の他を見ると考えられるとともに、その絶対の他は即ち自己であるということを意味していなければならない。而してかかる意味において見るものと見られるものとを包むものは、限定するものなき限定として無の一般者と考えられるものでなければならぬ。それは無媒介的媒介、非連続的連続というべきものでなければならない。」(『私と汝』西田幾多郎)
やはり西田は難しいなぁ。非連続的連続というコトバを自分に都合良く曲解してシャッターを切ることで日々をやり過ごそう!もうすぐあの場所には桜が咲くだろう。